シスター 田口ハツヱ マルガリタ |
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帰天年月日 |
2022年10月1日 |
場所 |
東京都 |
修道生活 |
69年間の修道生活 |
略伝 |
Sr.田口は、信仰篤い父母と5人の弟たちの長女として生まれました。生後3日目に紐差教会でマルガリタの霊名で洗礼を受け、家族とともに幸せな生活を過ごしました。父は温かく一人娘をとても可愛がり、母はしつけをしっかりと行い、何よりも信仰篤いご両親のもとで幼い時から、祈り、聖母マリア様の深い信頼、守護の天使への厚い信心をもって、生活の中で信仰を生きることを学んでいきました。19歳の時、鎌倉の訪問童貞会の七里ケ浜病院で働き、看護師の資格を取得、新田原の訪問童貞会の病院で約6年間勤務しました。 その頃、時々新田原病院にいらしていた中津ドン・ボスコ学園の院長、カルロ デンライター神父様と知り合い、サレジオ会関係の書物を読むようになり、徐々に召命を感じるようになりました。それが、サレジアンシスターズとの出会いにつながったと言っていました。その頃、娘がFMAのシスターになっている人と出会い、別府小百合愛児園を見学するように勧められ訪問しました。その時、丁度、ご訪問中のマードレ カロリーナと出会い、自分の召命を確信するようになりました。入会に際して、両親は一人娘をなかなか手放そうとしなかったようですが、最終的には本人の希望を受け止めてくれました。 こうして1949年、別府聖マリア・マザレロ修道院に入会し、1953年初誓願を立てました。 立願後は26年間、別府聖マリア・マザレロ修道院の小百合愛児園の看護師、志願者のアシステンテ、支部評議員、副院長の任務を遂行しました。1979年、静岡のみ心修道院で星美ホームのアシステンテ、翌年1980から東京守護の天使修道院で、星美ホームの看護師として20年、続いて19年間、修道院の看護師としての使命を果たしました。同年4月、あと数か月で97歳になる年、世田谷修道院に異動し、翌年、調布の聖ヨゼフ修道院で休養の生活にはいりました。思いがけない従順でしたが、再度の新しい生活を穏やかに受け止め、いつも皆と共に共同体の生活に参加していました。 6月終わり頃に新型コロナウィルスに感染し、体力は急速に衰えていきました。8月7日、100歳の誕生日を祝い、コムニタのシスターたちと喜びを分かち合い、楽しいひとときを過ごしました。見舞いに訪れ姉妹たちと一緒に祈りや歌をうたい、最期は、数人の姉妹が見守る中、苦しみもなく、やすらかに眠るように息を引き取りました。 Sr.田口は、生涯、星美ホームの子どもたちやシスターたちの間で、サレジアン・シスターとして、ドン・ボスコとマードレ・マザレロに倣い、愛をもって看護師としての務めを果たし、病気の子供たちを看守り、また事業室での保健衛生のためにも尽力しました。扶助者聖母マリアの生きた感謝の記念碑として、様々な労苦をしのびながら、召された道をサレジアーナとして最後まで歩みつづけ、誰に対しても、とくに子どもたちには、つねに変わらない優しさで接していました。細やかさと温かさ、信仰による強さと謙遜、祈りと疲れをものともしない働きもって喜びのうちに神と人々、特に青少年のために最後の息まで捧げつくした祈りの人でした。 |