シスター 平手 シゲ マリア |
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帰天年月日 |
2022年6月20日 |
場所 |
東京都 |
修道生活 |
69年間の修道生活 |
略伝 |
信仰篤い両親のもとに生まれ、生後1週間目に、宮崎教会でチマッチ神父様より「マリア」の霊名で洗礼を受け、幼稚園と小学校は教会のオラトリオで、ドン ボスコの精神あふれる雰囲気の中で育ちました。 高等女学校の時、太平洋戦争が勃発。卒業後、国民学校教員養成講習科で学び、卒業後は学校に勤務しました。そのころ、別府のカルメラ院長様から手紙をもらい、両親と一緒に修道院を訪れました。2人の姉はすでにサレジアン・シスターズに入会し、家を離れていましたので、両親の世話をすると覚悟をし、入会については考えていませんでしたが、母がその時Sr.カルメラに「シゲを志願者に入れてください」と頼んだので、非常に戸惑ったといっていました。 誓願を立てると、大学に通い、卒業後、明星高等学校で教鞭をとり、続いて、幼小中高の校長を勤めました。1967年より星美ホームに勤務し、星美学園短期大学非常勤講師を勤めました。その後、トリーノの教皇庁立国際教育大学で学び、帰国後は星美ホームの施設長、院長を歴任し、続いて、星美学園短期大学で教授・副学長を勤めました。 1967年頃から、新幹線問題が浮上し、星美学園総合計画完了まで約30年間の歳月、Sr.平手は、星美学園における青少年教育を存続するため、堅固な信仰と、使命への情熱をもって、担当窓口となり、多くの方々に助けられ、星美学園総合計画実現のために尽力しました。その働きは、後々までも管区の歴史に残るものでした。Sr.平手自身が、「マリアさまが星美学園を見守ってくださっていることはいつも実感していたが、特に“奇跡”ともいえる事実をみたことについては、語り継がなければならないことだと思う。」と記録に書き記しています。 星美学園短期大学退任後は、星美学園法人事務嘱託として働き、その後は、星美学園の歴史、広報、土地の問題の残務整理などにいそしみました。晩年は、膨大な資料や写真を丁寧に整理し、記録として残すことを自身の使命として受けとめそれを淡々と果たしていました。 |