No.1019
「もし聖人になりたいならば急がなければ、むだにしている時間はありません。」
(手紙 47,10)
愛する姉妹の皆様、
モルネーゼから皆様のもとに参ります。わたしは今、総評議会の姉妹方とともに、わたしたちの誕生の地で黙想会をしています。ここに滞在することは、常に自分のアイデンティティとカリスマのルーツを再発見するために家に帰るということになります。この場所で、マードレ マザレロと一緒に、わたしは、心からの喜びと限りない感謝を込めて、世界中に花開いたカリスマの豊かさを読み直し、熟考しています。そして、このような実りの秘密は何であるのか と考えています。
本会創立150周年を祝う意義深い日である8月5日に向けて旅を続けていると、マードレ マザレロの穏やかで毅然とした声が聞こえてくるようです。「元気を出して! 聖人におなりなさい。謙そんで、誰に対しても朗らかで、自分にも隣人にも愛でいっぱいな聖人に」 (手紙 26,10)。
日常の聖性
教皇フランシスコは使徒的勧告『喜びに喜べ』の中で、聖性を日常生活の中で生きるための神からの贈り物としてキリスト者に提案し、聖性を特殊なケース、または普通の人とはかけ離れた特別な人のためにあるという偏見を払拭(ふっしょく)するよう提案しておられます。
聖性は、誰でも歩くことができる美しい道であり、近づきがたい遠い所にあるもの、あるいは無理な苦行や大きな苦しみを伴うものではなく、むしろ、たとえ厳しさがあるにしても、自分の務めに忠実であろうとする努力を、責任をもって受け入れる一般の人に実践可能なものです。この聖性についての考え方は、非人間的で生命を制限するもの、生命を傷つけ、乏しくし、空虚にするすべてのものを排除します。代わりに、人間味があり、人を人間らしく、本来の良さを持つものにするすべてのものに価値を見出し大切にします。聖性は、歴史の中で受肉し、人間の単純な生活のうちに現わされる神からの贈物です。
サレジオ霊性での聖性は、共通の召命、すべての人への招き、とりわけ若者と分かち合われるものとして理解されていました。
第24回総会議事録の15には、ドン ボスコもマードレ マザレロも、家は人間的円熟と聖性の成熟の歩みを遂げる条件である「神を呼吸する家、家族の雰囲気を感じ取れる家」であるよう注意を払っていたことが記されています。会憲第5条では、わたしたちは、青少年への福音宣教に奉仕することを通して、青少年と共に聖性の道を歩みながら、神の栄光のために生きることを誓っています。
聖人になりたいと言うドメニコ・サヴィオの願いに、ドン ボスコは明確な表現で「快活、勉強、信心」と答えます。
動揺させること、平和を奪うものを神は望まれません。勉強と信心を熱心にすること、みんなに良い行いをすること、いつも仲間たちを助けること。聖性は、すべてここにあります。
ドン ジョバンニ・カリエロは、ドン ボスコが外見上、非常に重要な行為であっても、とても単純素朴な表現を用いていますと指摘しています。その一生は他の司祭と同じようにありふれたものに見えたと述べています。どんな状況でも同じように自然体で振る舞い、その生い立ちを感じさせる人当たりの良さが見られました。
傍目(はため)には「聖人」という姿は見られませんでした。また、彼の家、特に事業の初期にみられた「秩序の乱れ」も、ドン ボスコの聖性に不利な印象をもたらしていました。
ドン ミケーレ・ルアは、ドン ボスコについてはっきりしていたことは、神との絶え間ない一致であったと断言しています。ですから、修徳的な書物を読み、瞑想するよりも、例えどんなに小さな行いでも、ドン ボスコを見る方が、はるかに役に立ちました。
ドン・ボスコに出会った後、何人もの青少年が、英雄的なまでの聖性の道を歩み始めたという事実は、彼の聖性がどれほど効果的で、影響しやすく、魅力的であったかを物語っています。ドン・ボスコについては、かれの果敢さ、創造的な想像力、勇気を強調することができますが、このような明白な素質とかれの厳格な修徳、神と青少年への絶えまない献身と深い信仰の精神によって支えられた内面の豊かさとを決して切り離すことはできません。1884年にFMAに宛てた手紙で、主と若者への奉献の約束を忠実に生きるよう励ましながら、機知に富み的を射た現実的な表現で、余すことなくキリストに従うという約束へと招いています。
「私の愛する娘たちよ、多分、あなたたちは天国に馬車でゆられて行きたいのでしょう。いえ、いえ、あなたたちは楽しみを味わうためでなく苦しむため、そして来世のための功徳を積むためにこそ修道女になりました。指図するためではなく、従うために、被造物に執着するためではなく、ただひたすら神への愛に動かされて隣人に愛を実践するために、便利な心地よい生活をするためではなく、イエス・キリストと共に貧しく生きるために、ひたすら主の栄光にあたいする者となるために、この地上ではイエス・キリストと共に苦しみを担うために神に自分を奉献したのです。」
聖マリア ドメニカ・マザレロの証言はまた、聖性が日常の顔を持っていることをわたしたちに思い起こさせてくれます。ですからわたしたちの生活、わたしたちの共同体の中で生き、輝かせることができます。
彼女は、決断力のある強い意志で全面的に神に向かって歩む習慣をつけていると同時に、自分の弱さと限界、また自らの非常に人間的な性格を体験によって、人が聖人として生まれてくるのではないことをよく分かっていました。マードレ マザレロは、わたしたちが聖人になるには、わたしたちの中で働かれる神の恵みに応え、祈り、現実に耳を傾け、主がわたしたちのそばに置いてくださった人々に耳を傾けることによってであることを、個人的な体験から知っています。
時が経つのは早いので、聖性は真剣に受け止めるべき招きです。「さあ、がんばって! わたしの善良なシスターたち! 朗らかでいてください。早く徳にみちた聖人になるように。死はどろぼうのようなものです」(手紙 23, 7)。
「自分の意志と、自愛心を殺して、早く聖人になるように努力なさい」(手紙 47,11)。 「これが、あなたがたに言いたかったことです。わたしの善良な娘たち、元気を出して。健康に気をつけてくださいね。早く聖人になるのですよ。そして少女たちも聖人にしてください。彼女たちにわたしからよろしく…」 (手紙 52, 4)。 聖性は、会憲への忠誠というまっすぐな道を通ります。「あなたがたは皆、注意深くなくてはなりません。なによりも、わたしたちの聖なる会憲を、正確に守らなければなりません。それだけで、聖人になるには十分だということ、もう知っているでしょう」(手紙 27,9)。
このように、マードレ マザレロにとって聖性への呼びかけは、当然のこととして永遠へとつながっていくのです。あっという間に過ぎていく時間は、普通の日常生活の時間的な次元と、「いつまでも」という永遠との距離を縮めているようです。そこでは、もはや人間の弱さに苦しむことなく、キリストのうちに自由に幸せに生きます。
マードレ マザレロは、聖性への道を歩みの中で、神への大きな信頼と強い信仰を育んでいます。彼女は、聖体におけるイエスの現存によって自分自身を変容させ、貧しい人々、寄宿生、姉妹たちの中にイエスの顔を見分けることができ、言葉よりも模範と行いによって、皆を同じ聖性の歩みへと巻き込んでいます。彼女によって活気づけられた共同体では、歓迎と率直な人間関係による雰囲気が、神の現存に対する素朴で深い信仰と調和して、これらすべてが特別な環境を作り出しています。ドン ボスコ自身、モルネーゼから書いた手紙の中で、この霊的な雰囲気を強調しています。「ここはとても涼しいのですが、神様への愛はとても熱いのです。」
アメリカでの最初の宣教師たちが経験した「モルネーゼの精神」の実りは、ラウラ・ビクーニャです。彼女はドミニコ・サヴィオから遠く離れた時と空間で、彼が選んだ同じ熱意と意図をもって初聖体を拝領しました。
ラウラは愛の掟を、命を捧げるほどまでに生き、非常に短い期間に並外れた霊的歩みを遂げました。アルゼンチンの大草原に戸惑っていても、神の恵みとフニン・デ・ロス・アンデスのサレジオ会と扶助者聖母会の小さな寄宿学校の賢明な教育活動に驚くほど順応した彼女は、ドン・ボスコの若者への呼びかけを実現していきます。
「ですから、愛する皆さん、勇気を出して、時間のあるうちに徳を身につけて下さい。そうすれば、いつも明るく、喜びの心を持ち、主に仕えることがどれほど素晴らしいことかを知ることができるでしょう」(Giovane Provveduto, 13)。
優先課題としての聖性
会憲の追録に目を通していて、いくつかの重要で不可欠な項目を見つけることができました。それは、わたしたちの考察と一致しているように思われるので、皆様と分かち合いたいと思います。1972年7月15日、わたしたちの会の創立100周年を記念して、聖パウロ6世は特別謁見に参加したFMAに対して、次の2つの緊急の質問を投げかけられました。
「あなた方の修道会は、現在、苦しみ悩みの中にある教会のアピールに応えることができますか。…あなた方の聖なる創立者が植えた丈夫な根の古い生命力が、豊かに開花し続けるためにどんな方法をとりますか。」(追録p627)
そして、答えは一つしかないとおっしゃいました。すなわち、内的生活の優位性によって確保される聖性です。また、「主をあがめ、愛し尽くして、人々に働きかけた扶助者聖マリア」を観想し、生きることを提案されました。
教皇聖パウロ6世によれば、聖性は、過去の比類ない豊かさを解き明かし、また間違いなく、将来に向けての生命力を保証するものです。
教皇聖ヨハネ・パウロ2世は、2002年11月8日の第21回総会議員との謁見で断言されました。「愛するサレジアンシスターズよ、聖性はあなたがたの本質的で第一の課題であります。この聖性は、あなたがたが新福音化に最高に貢献できるものであり、さらに、もっとも助けを必要とする人々のための真正な奉仕を保証するものであります。このような緊急な使命は、絶え間ない個人的・共同体的回心を要求しています。神の恩恵のわざに全面的に心を開く者だけが、時のしるしを悟り、正義と平和を必要とする人類の呼びかけを把握する段階にあります」。
2021年10月22日にローマ本部で行われた第24回総会参加者との出会いの時の教皇フランシスコの講話を読み直して、教皇様が修道会としてわたしたちに残された嘆願を強調したいと思います。
「本会の初期にあった実り豊かな召命のあの清新さを再び目覚めさせる」という総会の目標について説明して下さいました。今のこの状況は、カイロスに変える助けとなり得ると信じることの重要性を強調されました。すなわち、カリスマの根源に戻り、本質的なことに取り組み、聖性の可能性を証しする奉献生活の美しさを再発見し、未来を恐れず現在を生きるための好機とすることです。
ドン ボスコとマードレ マザレロの足跡をたどることは、わたしたちの創立者の最初で最も重要な関心事であった神の贈り物である「恵み」の現実を理解し、あらゆる犠牲を払ってでもそれを生きることを意味します。したがって、彼らは、人生の困難にもかかわらず、健全で建設的な楽観主義につながる超自然的な希望と喜びの感覚を持っていました。また、青少年が聖性を目指すよう助けようと努めました。
時を超えて輝く聖性
この本会創立150周年を、わたしたちは感謝の時、教会として実り豊かな季節を本当に生きていることを認識する時として生きています。それは信仰において、わたしたちに伴われる神の摂理と扶助者聖マリアの積極的で、予見し前もってはからわれる現存を認めているからです。
わたしたちには、歩みにおいて力と喜びを与えてくれる確信が心のうちにあります。「希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(ローマ5章5)。
わたしたち一人ひとりは、この確信を個人として、また共同体として、日々培い、新たにし、これを輝かせ、伝える体験を絶えずするように求められています。
わたしたちの希望は、多くの姉妹たちが熱心に生き、宣教的な情熱をもって働き、その忠実さで会のカリスマ的な遺産をより豊かにし、そして今、イエスの過越の喜びに浸り、その執り成しと助けによってわたしたちを支え続けてくださる多くの姉妹たちの経験に基づいていることを忘れることはできません。
教会の神秘体の奥義についての信仰は、わたしたちを天の国に先立ったすべてのFMAとの信頼と交わりを新たにするよう促してくれます。
喜びと聖性の充満を生きている方々、特に列福調査がすでに始まっている方々、すでに列福された方々に、わたしたちはより確かな確信をもって馳せ寄ることができます。
わたしたちは、この方々を知らせ、その執り成しに信頼するよう促し、天の国でももっと働いてもらえるように、多くのことができるはずではないでしょうか。
会憲60条は、わたしたちに偉大な真理を思い起こさせてくれます。
「生きている間、わたしたちを一つに結ぶ交わりは、
おん父の家に過越していく瞬間が
訪れるときにも継続し、
ますます強められる。
召命の要請と喜び、日々の労苦と希望を
互いに分かち合った姉妹たちについての
感謝のこもった親密な思い出は、
これらの姉妹たちのために、
定められたものにせよ、愛徳によるものにせよ、
追悼の祈りをささげるように、なお
主への奉献に寛大に生きるように、
わたしたちを刺激する。」
わたしたちの姉妹は、わたしたちの使命と教育共同体の生活の中で、不思議なほど効果的に協力することによって、その聖性を十分に発揮し続けているのです。奇跡は、苦しんでいる人々、また神だけを信頼することができると知っている人々、澄み切った曇りのない信仰、謙虚で絶え間ない呼びかけがあり、また共同体の祈りとしても捧げられるところで起こり、行われます。
奇跡は起こるものです。わたしたちは、自分自身や自分の利益のために何も求めない人々の大胆さと信頼をもって、神のみ旨が行われるように、絶え間ない祈りを他の人々のために捧げます。
このため、会憲に規定された追悼の祈りは、おん父の家にたどり着いた姉妹たちとの愛情、感謝、交わりというわたしたちの真の関わりのしるしであり、わたしたちが、隣接している共同体よりもはるかに大きな共同体に属していることを現わしています。
このような側面について考察を深めることは、「この世にすでに存在している天上のたまもののしるし」(会憲 8) である奉献された女性としての自分自身の召命を十分に評価する助けにもなります。
本会の母であり霊感の与え手である聖マリアに、わたしはミッションパートナー、青少年、家族、サレジアン・ファミリー、そして主がわたしたちに託されたすべての人とともに聖性の道を歩むという優先的な務めをお委ねいたします。
総評議員の姉妹たちと一緒に、皆様お一人ひとりに親しみをこめてご挨拶し、皆様の上に扶助者聖マリアとマードレ マザレロの祝福を祈り求めます。
ローマ 2022年6月24日