Sr.竹下は東京で、熱心なカトリック信者の家庭に生まれ育ちました。
両親は慈愛深く誠実、4人兄弟姉妹は仲睦まじく、大変温かな家庭でした。
学業を終えると宮内省勤務をしていましたが、所属していた麻布教会で幼い頃に秘跡の準備をしてくれた、後にサレジアン・シスターズとなって日本管区の礎を築いた柴山節子先生の影響で本会入会に至りました。
立願後は、長年間、中高の国語と宗教の教員として働きました。楽観的で常に満面の笑顔を絶やさずに人と出会うSr.竹下は生徒たちから大変慕われました
教職を離れてからは修道会の中で翻訳業を務めており、毎週本部から来る「オンラインニュース」の訳をもって世界の動きをリアルタイムで姉妹たちに知らせることにも貢献しました。
修道会に対して深い愛と感謝をもち、その幸福感を具体的に表していました。次第に衰弱しては来たもののSr.竹下の帰天はまるで駆け抜けるかのように急なことでしたが、自分のために一人の宣教女がくれたという「Sr.フェリチーナ(幸せ)」の愛称は彼女の生涯をそのままあらわすものでした。
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