Sr.上田マキ子は福岡県行橋市に9人兄弟姉妹の7女として生まれました。
五島の代々キリスト教信者の一家は、大正15年にトラピスト修道院が入植した福岡県、現在の新田原と呼ばれる地域に修道士たちを頼って移住してきた人々と共に、この地に移り開拓を始めました。
新田原教会建立の翌年、マキ子はこの新天地で誕生したのです。
幼い頃から修道女に憧れたマキ子は、一人のサレジアン・シスターの母親とサレジオ会員との出会いでに入会し、後に会員となった同じ教会の信者に触発されて別府聖マリア・マザレロ修道院を訪ね、その数週間後には入会しました。Sr.上田は、別府、大分、大阪支部で財務係として、養護施設の子どもたちや共同体の必要に細やかに寛大に心を配りました。行動範囲は広く、建築関係者や出かける先では店先で、と多くの人と親しく温かく交わり、信頼関係を作りながら精力的に使命を果たしました。また、裁縫の技術を生かしながら、修道服の仕立てや バザーのためにいろいろな袋や小物などをつくって皆を喜ばせていました。
仕事中にはロザリオや射祷をもってそれを捧げ、日常の祈りや出来事との出会いの中にみ旨を探し、単純に素朴にそれを受けとめて感謝していました。
しかし、次第に様々な病を得て衰弱し、ロザリオの月の最後の土曜日、眠るように静かにおん父の家に戻っていきました。享年85歳、62年の修道生活でした。
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