Sr.中島は熱心なカトリック信者の家庭で長女として誕生しました。
太平洋戦争只中で長崎純心高等女学校に入学しましたが、原爆投下で自身は被爆し、親族と多くの友人を失いました。
これが、「平和」を選ぶSr.中島の一貫した生き方の原体験となりました。
先に入会した妹の勧めもありましたが、弟妹が学業を終えるのを待って後、本会に入会。立願後、養護施設で子どもたちのために働きました。
誠実、優しく温和な人柄のために子ども、姉妹たちから母親のように慕われました。
養護施設を離れて修道院内の務めを任されてからも、生涯担っていた原爆症の苦しみも他者に感じさせることなく常に忍耐、喜びと謙虚さのうちに表れる深い信仰をもって奉仕しました。聖母への信心を特に大切にしていました。
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